Column
地方創生戦略と公社とフードハブの同時実現
座談会開催日:2024年8月
当社代表の後藤太一は、以前にセミナーでご一緒した大南信也さんと、同僚だった西村佳哲さんからの声がけにより、福岡での仕事の一区切りをつけた2015年に神山町を初めて訪問。過疎による消滅可能性自治体への危機感をバネに、実行性と実効性のある地方創生戦略策定への前代未聞の取り組みを設計し推進した。そして、戦略策定の後も、戦略推進母体の「神山つなぐ公社」や先導プロジェクト「フードハブ・プロジェクト」などに引き続き関与することとなった。その過程で異なる立場から協働した3名と、足跡と展望を語り合った。

真鍋太一(フードハブプロジェクト共同代表)

杼谷学 (神山町総務課課長補佐)

大南信也(NPOグリーンバレー前理事長)

後藤太一
この10年でまちの面白さや活力が向上
後藤:まずお聞きしたいのは、神山の変化をどう見ているかということです。神山町は、アメリカで誕生した住民主体の道路や川の清掃活動「アドプト・プログラム」を日本で初めて1998年に始めたり、アーティスト・イン・レジデンス(芸術家招聘事業)をしたり、CATV(ケーブルテレビ)高速インターネット回線を全域配備したり、サテライトオフィスを開設するといった素地がもともとありました。
さらに2015年度に地方創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト」を策定しました。私が関わったのはこの検討チームからですが、役場と民間、以前からの住民と移住者などの新たな生態系が生まれて、2023年には「神山まるごと高等専門学校」(以下、高専)も開校しました。この10年を振り返って、皆さんはどのあたりが変わったと感じていらっしゃいますか。
大南:人口の面から考えたら、団塊の世代の人たちも自然減に影響を与え始めていて、だいぶ減ってきたなという実感はあります。一方で、10年前に創生戦略をやり始めた頃に比べて、今はまちの面白さや活力やポテンシャルが確実に上がっとんじゃないかな。
後藤:人口減少というのは、役場で想定の範囲内ではあるんですよね。
杼谷:成りゆきでいくと、もっと減少していたと思うけれど、この10年で少しずつ減り方が緩やかになっています。
大南:僕が講演するときのタイトルは「人口 6000人のまち神山」だったのが、どんどん減って、今は5000人と言っています。
真鍋:私が10年前に引っ越してきたときの人口は5500人。それから主に高齢の方が亡くなられて、今は4700人台で。最初に後藤さんたちが描いた創生戦略で、人口について3つのラインがあったのですが、あの一番上の、人口減が一番緩やかな緑のラインぐらいをたどっています。
(地方創生戦略第1期計画書より)
大南:僕も毎月、人口のデータは確認しています。創生戦略で人口についてかなり議論したこともあり、やっぱり気になって。
真鍋:これだけいろいろやっても、やっぱり一番上の緑のラインと同じくらいなんだと思わざるを得ない。社会動態はプラスですけど。
後藤:社会増があっただけで奇跡ですよね。
杼谷:高専ができて5年間は入ってくる人が多いけど、5年経つと均衡する。だから、まちを将来世代につなぐプロジェクトの取り組みを緩めてはいかんなと思っています。
若手と移住者も一緒に地方創生戦略を描く
後藤:大南さんと杼谷さんは地元の人ですが、真鍋さんは意思があって神山に来られました。東京のWeb制作会社モノサスで働きつつ、2014年に家族で移住してきた経緯を教えてください。
真鍋:私は愛媛出身で、いつか四国に戻って、食に関して何かやりたいと思っていました。大南さんにいろいろな物件をご案内いただき、今のテストキッチンがあるところを見て、ここなら何かできるかもと家族と引っ越しを決めました。
後藤:外から見ると、神山にはどんどん移住者が入っている印象があります。何か期待感のようなものがあったのでしょうか。
真鍋:当時、もともと出身の四国内で移住先を探していて、高知は食がすごく豊かだけど、神山の食の価値はあまり顕在化していなかったから、大きな可能性があると考えていました。それに、実は神山に西村佳哲さん(働き方研究家)が引っ越してくるらしいと聞き、直前に一緒に仕事をしていたこともあって、また新しい動きが起こりそうだなと感じて。たまたまですが、同じ時期に引っ越してきました。
大南:僕が真鍋さんと最初に会ったのは2013年の9月。その後にもらったメールには、「食を通じて人々が集い、そこに文化が生まれるような場を神山に作りたい」って書いてあったな。
真鍋:え、そうでしたか(笑)。
大南:その延長線上で考えたら、最終的にフードハブ(株式会社フードハブ・プロジェクト。株式会社モノサス、神山町役場、神山つなぐ公社が共同で立ち上げた神山の農業を次世代につなぐための会社)という具体的な姿として現れてきたと僕は受け止めてる。
真鍋:今だから言えますが、フードハブをやるかやらないかというとき、役場からかなり大きなお金を動かして、ゼロから事業をやるという話だから、やっぱりビビったわけですよ。それで大南さんに相談したら「あんたがやらんで誰がやる」と言われて、「じゃあ、やります」と覚悟を決めたんです。
後藤:民間の動きを役場が積極的に応援するパターンは、初めてだったんじゃないですか。
杼谷:そうですね、僕らが一緒に計画を作って、やりたいという人が現れて、役場も加わって後押しした感じですね。
後藤:私が神山に関わる前、グリーンバレー(「日本の田舎をステキに変える!」をミッションとするNPO法人グリーンバレー。2004年に大南氏たちが設立)やサテライトオフィスの動きは見えていたけど、役場が主体的にまちを活性化しようという姿勢はあまり見えなくて。でも、何かきっかけがあって変わったんですか。
杼谷:みんなで一緒に地方創生戦略を作ったことが大きかったですね。それまでは組織を代表する人だけで作ったり、有識者で総合計画的なものを作ったり。2年もかけて計画を作っても、それが全然進まなくて苦い思いだったんですよ。
地方創生は、地方が考えたことを国が認めてお金をつける仕組みだったので、これはチャンスだと思いました。それで、会議のあり方から変えようと、住民や役場の若手を引っ張り出して一緒に考えて、そこに町長や大南さんも入っていただいて。自分の中には「実行しなければいけない」責任も生まれた。振り返ると、戦略づくりの渦中に町長自らが入っていたことが大きかったと思う。
後藤:これは杼谷さんが仕掛けた感じですか。
杼谷:町長は誰かがやりたいといえば、後押ししてくれるんですよ。僕が提案したら乗ってきてくれる感じでした。
後藤:今までにない進め方でやると決めて、民間の若手の移住者をいっぱい入れて、重鎮やあて職がいない会議体にするのには、反対もありましたか。
杼谷:いや、反対はない。ただ、自分も入りたかったという不満はありましたね。
大南:今までの流れに慣れとるけんな。普通の総合計画も含めて、いろんな会議は団体の長や重鎮が集まって議論するけど、2045年や60年の計画を立てても、その人たちはもういないから自分ごとにならん。その時期にちょうどまちの中心になって活躍する人と考えたら、結果的に40歳未満でチームを組んだ方が絶対いいよねと。ただ、アンダー40にしたらキーマンが抜けるので、多少緩くしたけども。
後藤:若い世代に加えて、移住者を入れることも意識しましたね。当時、移住者に対してどんな見方があったのですか。
杼谷:役場の職員でも、部署によっては移住者と全然接点のない人もいる。まちの中で何が起こってるか分からない人は結構いたと思います。なので役場の外に引っ張り出して、今まちでどういうことが起こっているのか体感できるようにしました。
真鍋:ワーキングループの中で「移住者たちも本気でまちのことを考えてくれてると分かった」と言われました。
後藤:他の自治体では、移住者をブランディングに利用して、結果としてまちが分断されているところもある。でも、神山には移住者を利用してやろうみたいな感じがなく、自然に向き合って混ぜている印象がありました。私自身は神山に住んでいないのに、大南さんと西村さんに声をかけてもらい、検討コアチームに参画しました。通いの人を割と中心に入れてもらって、良かったのでしょうか。
杼谷:別にそこはあんまり意識をせんかったけど。でも、後藤さんがここを気に入って住み出すのは期待してました(笑)。
大南:後藤さんはコンサル会社としてではなくて、個人として関わっていたでしょう。大手コンサル会社が関わると、コンサル自身が全国の事例を持っていて、原案を全部作ることできる。その方がみんなラクで、あんまり考えなくていいから、結果的にそれに乗っかっていくのが普通やけども。神山の場合は、後藤さんが1人のプレイヤーとしてコアチームの中に関わったというのが大きい。
後藤:商売としては割に合わなかったけど、素晴らしい経験を得ることができました(笑)。
大南:創生戦略のプロセスの中からプロジェクトを生み出そうという形は、他の町にはほぼほぼない。これが神山の特徴だと思います。
数字を目標にせず、自然につながりが生まれた
後藤:2015年12月に「まちを将来世代につなぐプロジェクト」を策定して、翌年4月には戦略プロジェクトを実現するために「一般社団法人神山つなぐ公社」が立ち上がり、「フードハブ・プロジェクト」も生まれている。すごいスピード感だと思いました。
杼谷:12月に戦略ができて、12月に補正予算でアメリカ視察などの予算が通って、2月に視察へ。
真鍋:官民のハイブリッドで、うちの会社からも予算を引っ張ってきて、4月にはフードハブの会社ができた。そして、翌年3月には「かま屋」(フードハブが運営する飲食店)と「かまパン&ストア」をオープンしました。
「かま屋」のオープニング式典
後藤:補助金も絡んでいて、とにかく大変そうでしたね…。
真鍋:でも、あれをやってしまったから、何でもできる気がしてしまいます(笑)。ちょっと話を戻すと、後藤さんがコンサル然として関わるのではなく、私からすると一緒にうんうん悩んでくれる仲間だったので、西村さんのアサインがすごく上手だったなと感じています。割に合わない仕事でも、カリフォルニアの視察にも頼んでないのに勝手に来てくれて(笑)、一緒に悩んで、ゼロベースでどうにか立て付けを組み立てようとしてくれる後藤さんの存在があったから、役場とも一緒にできたと思う。フードハブのスピード感は、行政と民間の両輪があったからこそ、ぐずつかずに走れたんだと感じています。
行政側のロジックが分かっている後藤さんがつなぎや立て付けをきれいに作ってくれたから、その後の5年間を走り切ることができた。役場があって公社があって、フードハブが三セクとして動いているというのは、全体のバランスがすごくいいんですよね。

(出所:フードハブ・プロジェクトのウェブサイト)
後藤:4月にはフードハブと同時に公社もできて、このスピード感もすごかった。
杼谷:公社は、計画を動かす専門の部門として必要な存在でしたね。そして僕が公社に出向して。
後藤:役場の人が出向する形にしたのは絶妙だったと思っています。覚悟されたでしょう。
杼谷:覚悟しましたよ。それまでは係長だったのに、公社では全ての責任がかかってくるから。
後藤:公社の立ち上げは、もともと当社で関わっていた森山円香など数人をスカウトして、あとは公募しましたね。フードハブという新しい箱ができて、移住者もたくさん入ってきました。
真鍋:子どもも含めて30人くらいかな。
後藤:そんなパターンは昔からありましたか。
大南:基本的になかったかな。起業したい個人やお店をやりたい人、アーティストがぽつりぽつりと入ってスタートする感じで。他の地域では、地域おこし協力隊を何十人も入れて移住者を増やすところが多くて、すごい荒業じゃないですか。でも、フードハブの場合は自然な形で育ってきたという感覚がある。
後藤:そう、頑張ってつながって、無理やり人口を増やそうとしている自治体がある一方で、神山は自然につながりが生まれているように見えるんですよ。
大南:つながりを作ろうという意識はなくて、つながりができたっていう話やな。つながりができた上に、いろんなものが乗っかっていくみたいな感じかなと思う。
後藤:なぜつながりができるのか。みんなそれぞれ目的があって、たまたまできているのでしょうか。
真鍋:大南さんがよくおっしゃるように、「まちのために」と言うと続かないと思う。例えば、高専の事務局長が来て、仕事をするかどうか決めるときに、「まちづくりをやりたい」「まちに貢献したい」と言われたから、「いや、まちって作られたいと思ってないし、貢献してほしいとも思ってないから、そういう発想はやめた方がいいですよ」って言ったんです。「あなたが何したいの、高専作りたいんでしょ。それなら頑張ればいいじゃん」という話で、結果、それでまちがより良い状態になってくるかもしれない。それは大南さんが昔からずっと言ってることを自分なりに解釈して、メッセージとして受け取ってるんです。
後藤:大南さんは前からそういうことを言ってましたね。
真鍋:ベースとして個人が何をやりたいのっていう話で、神山は受け皿としてとても寛容だと感じています。例えば、神山ビールを作りたいと始めた人がいて、あそこに飲みに行けば、めちゃくちゃつながれるコミュニティができている。
フードハブはもう少しビジネスとして、ガチで農業をやりたい、パンを作りたい、給食をしたいという人にとって、食に関われるプラットホームになっている。そして、かま屋やかまぱんのようにいつもやっている食事の場所があると、暮らしやすくて、つながりも自然に生まれ育っていく。つながりを生むこととか、交流人口を生むみたいなことが目標や目的になってないんですよね。
後藤:交流人口を目標にする自治体はよくありますね。
真鍋:その数字が上がるのは結果であって、目標にしてしまうと違う施策に走ってしまうのではと思います。
大南:そうやな。
後藤:それは役所から見るとすごいことだと思うんです。いわゆるコンサルとしては、現状と将来像があって、ギャップがあるからこの手を打つと左脳で考えていくもので。でも、神山では、明確な将来像を立てなくて、そこに私は驚いた。役所の通常の仕事の進め方とは違うと思うのですが、違和感はなかったんですか。
杼谷:結局、人口だけを据えて、それ以外のKPIはあえて作らんかったよね。議論はしたけど、目標に向かって変な方向に向かうことを懸念して、人口3000人を下回らないことだけをKPIにした。
後藤:それが良かったのかな。
杼谷:そうですね。
大南:目標というより、目安みたいな感じやな。
真鍋:ただ、数字は毎年追ってましたね。
後藤:数字を追い続けることに価値があって、できた・できない、○×というものじゃないと思ったんですよ。
大南:高専を作ったのもベースの考え方は同じですね。高専は神山の地方創生のために作ったわけではない。これからの日本社会や日本の教育にとって一番必要としている学校が神山にできた。それがめぐりめぐって、神山の地方創生になるかもしれませんねという考え方で。
最初から地方創生のために学校を作るとなったら、それにすごいとらわれて、本来作りたい学校の像の本質がぶれ始める。もうちょっと地域寄りにシフトせんかったらあかんのじゃないかな、みたいに。フードハブも同じで、これからの神山の農業に一番必要なものができて、それがめぐりめぐってまちの地方創生になるという立てつけやと思うんですよ。
後藤:大南さんはグリーンバレーのときから、そういうことをおっしゃってましたよね。神山と言わず、「日本の田舎を素敵に変えたい」と。そのロジック、民間は分かるけど、役場でよく通るなと思うんですよ。
杼谷:それは言いようじゃないですか。今すぐには神山のためにならないかもしれないけど、めぐりめぐって神山のためになったり、それがモデルケースになったりして、日本のいろんな地域に展開するというのは、すごく大事なことかなと思うんです。
大南:創生戦略のワーキンググループを、町長を含めて役場の職員もみんなで体験したのが大きいんじゃないかな。あのプロセスの中で一人ひとりに変化が生まれて、その最たるものが町長で、町長は変わったと僕は思います。
後藤:確かに、途中から英断続きになったんですよね。
大南:一緒に歩んでいった中で、ものの見方がだんだん変わってきたと思います。この創生戦略を立てる前の段階だったら、消滅可能性自治体のワースト20位になっとるけども、本当にやばくなったら国がまた手を差し伸べてくれて、どうにかまちは続いていくというイメージを持っとったんじゃないかな。でも、人口推計などの数字を会議で見るうちに、「これはほんまにやばいかもわからんな」っていう切迫感が町長にも伝わったのでは。
後藤:そのプロセスを経て、でも今は町長が代わり、杼谷さんは公社から役場に戻り、みんな立場が変わっている。あのプロセスを体験していない次の世代が多いけど、何かが継承されている感じがしますか。
真鍋:フードハブは、自分よりもまちと関わって、ちゃんとやってるメンバーが多い。地元の消防団に入って、祭りに参加して、地元の人から農地を借りて独立もして。みんなちゃんと根を張って、ネットワークっていうと聞こえがいいけど、根っこが張りめぐらされている状態です。
後藤:自然にそうなった感じ、それとも真鍋さんたち先輩が誘ったり背中を押してあげたりしたから?
真鍋:フードハブの装置としての設計そのものがそうなっているからじゃないかと思います。やっぱり真ん中に「神山の農地を次の世代につなぐ」とあるのが、すごく重要で。
後藤:そうね、飲食店だけじゃなくて。
真鍋:飲食店だけじゃなくて、そこが効いてるなっていうのはある。みんな地域にコミットして、子どもを育ててというメンバーが増えている。
大南:結局プロセスに直接タッチしたかどうかはそんなに重要じゃなくて、このプロセスから生まれた雰囲気や環境や空気というものが大事で。それが漂いよるから、入ってきた人は、こういうまちにしましょうって言われんかっても、みんなが感じてそっちの方に向いてくれるところが結構あるんかな。
真鍋:文化になってるといえば聞こえはいいけど、私が率いるんじゃなくて、みんなで話し合って考えてやる組織という方針にしているから、耕し続けるという文化が醸成されている気がします。
後藤:公社や役場も人が入れ替わってますね。どう見てますか。
杼谷:前からなんですけど、僕は役場でもその人がやりたいことやできることをやればいいと思ってるんですよ。僕が給与を担当していたとき、自分でエクセルを使ってマクロを組んで、自分のやりやすいようにやった。それが引き継がれている部分もあるけど、制度が変わったら自分で変えてもらいたい。だから公社でも、計画や文化や空気はあると思うけど、今の担当者がやりやすいように、やりたいことをどんどんやってくれたらいんじゃないかなと思ってます。
後藤:空気や文化をもうちょっと具体にすると、任せるということですか。
杼谷:誰かが決めたことを別の人がやっても力が入らなくて、困ったときに心が折れてしまうんですよ。自分が責任を持って考えて、実行して、例え失敗しても、自らの思いが強く入っていると、成功するまで続けられるものじゃないかなと。
後藤:グリーンバレーの顔役として動いてた大南さんは、ちょっと役割を変えましたね。もう次の世代がやりたいようにやったらいいという感じで見てるんですか。
大南:当然それもあるし、僕自身は役職をやる・やらないの判断は自分で下したいと昔から思っとって。グリーンバレーの理事は、70歳を超えて新しいイニングに入らんと決めとったから。学校法人も9月には2年の任期が終わるけん、パッと線を引こうと思って。
後藤:それは自分の中で70歳というラインがあるのか、それとも2年ぐらいしたら変わった方がいいなと思っているのか。
大南:両方ある。それに、僕自身は新しいものを作るところにすごく関心があって、作るところが自分の役割だと思ってるから。そして、次の世代の人たちがつないでいってほしい。
町外の人がキーパーソンとつながり、高専を設立

後藤:高専についても聞かせてください。創生戦略を作っているとき、教育は大事という議論はあったけど、そもそも高専の話はなかったですよね。外から見ると、いきなり高専が来たように見える。どうやって始まったのでしょうか。
大南:2010年10月にSansanが神山にサテライトオフィスを置いて、そのときに立ち話として、代表の寺田さんと僕は言葉を交わした。寺田さんには、自分の一番の至上課題はSansanの株式上場で、創業から10年以内、2017年の6月までに上場を果たしたいという夢があったようなんです。
一方で、もし上場の目標が叶ったら、個人のプロジェクトとして教育のプロジェクトをやりたいと聞いて。そのまま5年半ぐらい、何の話もなく過ぎたけど、2016年1月のお正月明けにメッセンジャーで、神山に学校を作れんかなっていう話が来た。
後藤:メッセンジャーとは、軽く来ましたね(笑)。
大南:僕は若手起業家の夢物語やなしに、真剣に考えとったと分かった。株式上場の道筋が見えてきたから、次のステップに進みたいという相談やった。そこから、どんな形態の学校だったら、町民にも役場にも支持されるかをふたりでキャッチボールしながら検討を進める中で、高専が仕組みとして断然面白いし、神山の中学校を卒業した子どもたちの進路の選択肢にもなるから、行政にも受け入れられやすい学校だと。
それで翌年、町長に会ってもらって、寺田さんが高専設立の構想を伝えたら、反応がめちゃくちゃ良かったんですよ。自治体としては、私立の学校を自分たちの手で資金を集めて作ってくれるなんて、万々歳の話じゃないですか。でも、その一方で、学校は文科省の認可という高いハードルがある。あの時点で町長が「これはいい話やけども、リスクが大きすぎるから行政としては踏み込めん」という話をされとったら、高専はなかった話になったと思う。町長はあとで雑誌のインタビューに「この機を逃したら、まちの再生はないと感じた」と答えとった。この言葉は、町長が創生戦略のワーキンググループの会議全てに出席したから出てきたんだと思うんです。
杼谷:喜んで出席されてましたね。
大南:創生戦略のプロセスが町長を変えて、高専設立に踏み込んでくれたから、その後は茨の道やったけど、大きな分岐点でした。
後藤:あの大きさのインパクトが、この小さいまちに来ると、ハレーションも含めていろいろあったのでは。
杼谷:学校ができると聞いて、大半の方は賛成と受け入れて、反対の声はあまり聞いてないかな。
真鍋:そうですね。みんな総論OKで、できるのはいい、子どもたちが増えるのはいいけど、各論どうなのかというのは個々であったと思います。情報開示できない期間が長かったので、公の場で厳しく言う人もいました。
後藤:メディアでは、外から来た人たちが地域を激変させる可能性のある高専を作ったように見えていた。実際は、大南さんが地元の方とつなぎ役をされていて。進める上で気をつけたことや工夫されたことは。
大南:僕自身の進め方としては、開校できないリスクが相当なものだったので、まわりの人を巻き込めないのが苦しかった。例えば、通常のグリーンバレーの新しいプロジェクトなら、「ちょっと手伝って」と気軽に声をかけられるけども、高専の場合は気軽に声をかけて、仮にうまくいかなかったらその人たちに対して責任を取れないと思って。だから、声をかけたのはほんの数人だけで、地域の人の中には、自分たちと関係なく学校が作られよると感じた人もおったと思う。
後藤:地域の人には分からないから。
大南:どこに学校を作るかも、用地の所有者の関係などでなかなか公開できなくて、そのあたりは神経を使ったし、ある意味しんどかった部分ではありますね。
真鍋:フードハブで高専の給食を受けるまでにもいろいろあって、情報が安易に外に出ないようにコントロールしてましたね。
後藤:神山が高専を連れてきたから、他の地域でも同じようなことをやりたいという話が出てきています。でも、外の資本や人材が来ればOKというわけじゃないですよね。
大南:「誘致ではない」という話に尽きると思いますよ。もともと寺田さん自身が「神山に学校を作りたい」という前提がある。
後藤:学校を作ろう、どこにしようかな、ではないと。
大南:そうそう。町民説明会のときも、「神山でせんかっても、他でしたらええやん」って言われたけど、神山だからこそこの学校はできて、意味があると僕らは思っとったから。この神山という場所がずっといろんなことを進めてきたから、ここにできるという説明ですよ。
後藤:外からは誘致と見えがちだけど。
真鍋:フードハブとしては高専の食事をやりたいというメンバーがいたからできるわけで、3年後には5年生の授業も受け持つことになっています。
後藤:役場としては、高校は管轄外なのに飲み込んでいるのはすごいなと思います。
大南:役場が個人版と企業版のふるさと納税の仕組みを作ってくれたから、資金も集まった。
住民に見てもらうことで、応援の輪が広がる
後藤:神山には「共に学ぶ」文化があると僕は感じています。役場でも公社でも、チームで視察に行ったら報告会をする。あれは珍しいと思うのですが、昔からそうですか。
杼谷:西村さんが始めたことで、この10年くらいの話ですね。
真鍋:地方創生戦略のワーキングループでやったスタディツアーの仕組み(バックグラウンドが異なる複数人で視察に行き、戻った後で報告会を行うことでさまざまな見方を交換し、知見を広げると同時に掘り下げる仕組み)が定着したってことだと思います。うちの会社でも、多様なメンバーで視察に行って、必ず報告することにしています。
後藤:「町民・町内バスツアー」(神山町民及び出身者を対象に、町内の新しい施設等をめぐるバスツアー)もやっていて、みんなで経験してみて、それを共有したことが効いているのでしょうか。
杼谷:バスツアーはすごい効いてると思います。住民の参加者は延べ1000人を超えているので。最初は「公社って何」「二重行政じゃないの」という声があり、それを説明するためのツアーでもあったんです。
でも、だんだん理解が広がって、逆に応援する側に回り、「私もまちのために何かやりたい」って言ってくれるんです。あるおばあちゃんが「役場の職員、地元の子がこんなに頑張っとう姿を見られて、私はそれだけで幸せじゃ」って言ってくれて、ジーンときたんですよ…。一生懸命に何かやるっていうことが、計画や実行よりも、とにかく大事なんだなって気づいて。だから、住民に「伝える」ことがすごく大事だと学び、今は情報発信に力を入れています。
後藤:高専は町民が見る機会を作ってますか。
大南:作ってますよ。
後藤:変化を感じますか。
大南:感じますね。学生たちがどんどん地域へ出かけて行って、住民との関係を作っているし、イベントなどで学校を訪れた住民が自分の情報としてまわりに伝えてくれて。普段、町民が情報を取るのはマスメディアで、町外の人と同じですよ。結果、すぐ近くにいるのに情報が入ってこないというもどかしさがある。さっきのバスツアーと同じようにつないでいったら、見た人がまわりに伝えてくれて、情報の伝わり方として自然で柔らかくなるんですよね。
後藤:単純に外の大先生が持ってきたアイデアをもらうとか、コンサルのレポートを入れるとかではない。みんなで見て考えているところが、さっき話した空気や文化になっていて、外から新たに入りやすいように感じられる、奇跡的なまちだなと思います。
地方創生の検討の仕組みには再現性がある
真鍋:地方創生のワーキンググループは、再現性があると思ってるんですよ。あれはみんなで学び、みんなが育ってくるプロセスだから。役場の中での難しさは相当ありそうだけど、仕組み化して他のまちでもインストールできれば、もっとまともな議論ができるようになるんじゃないかなと感じています。
大南:建て付けとしては、ワーキンググループの上にコアチームというのが大きいでしょ。コアチームはワーキングから上がってきたものをできるだけ認証していこう、ひたすら太鼓判を押そうっていう形の建て付けで、あの構造は他の市町村でも役に立つ可能性がある。
後藤:コアチームに首長が入っているケースは、普通はないですよ。
真鍋:でも、それを入れんといかん。
後藤:それは小さなまちの良さでもあって、係長でも首長と気楽に話せるじゃないですか。
大南:これを代表するのが町長っていう形の建て付けにすれば、他でも使える可能性はあるな。
真鍋:あれがキモで、他のものは再現性がないけど、あそこはスキーム化できたらいいなと。
後藤:いろいろな規模の自治体がある中で、どう応用するかは考えていきたいですね。
真鍋:グループ単位というかある程度の規模単位で、さっき言ってたコアチームとワーキンググループみたいなスキームは、できる気はしますけどね。そこは会社運営でも応用できるので。
大南:それと、行政が原案を作らないというのも重要じゃないかな。行政で議案を作ることになったら、コンサルに頼むことになるから。ワーキンググループから何かを生み出していくという方式が、小さなまちには絶対良い形だと思う。
後藤:それにしても、何が出てくるか分からないものを、役場はよく受け止めましたね。
杼谷:役場としては、できた計画を誰がやるかと、お金をつける覚悟が大事ですね。そこがないと、いい計画ができても動かないから。最後まで面倒を見るよっていうメッセージを伝えていかないと、いいものも出てこないですよね。
後藤:そんな神山の素晴らしいところをぜひ文化として定着させてください。
#プロフィール
大南 信也 おおみなみ しんや
NPO法人グリーンバレー 前理事長
1953年、徳島県名西郡神山町生まれ。スタンフォード大学大学院修了。帰郷後、仲間とともに「住民主導のまちづくり」を実践しながら、1997年頃より「国際芸術家村づくり」に着手。2004年、NPO法人グリーンバレーを立ち上げ、神山アーティスト・イン・レジデンスや神山塾、移住・起業支援やサテライトオフィス誘致などユニークな事業を展開。クリエイティブに過疎化をさせる「創造的過疎」を持論に、多様な人が集う「せかいのかみやま」づくりを進めている。神山まるごと高専設立発起人 / アドバイザー。
杼谷 学 とちたに まなぶ
神山町 総務課課長補佐
1996年、神山町役場へ入庁。2004年、四国初となる行政によるFTTH(光ファイバー網全域敷設) (事業を担当。2010年の総合計画づくり、2015年には第1期創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト」の策定に関わり、役場から出向し神山つなぐ公社代表理事を務める。2022年、地域アプリ「さあ・くる」の開発と同時に、まちの公共交通サービスを変えた。
真鍋 太一 まなべ たいち
Food Hub Project Inc. 共同代表 支配人
Monosus Inc. 代表、RichSoir&Co.支配人。愛媛県生まれ。2014年3月、妻子と共に徳島県神山町に移住。社会とつながり「暮らすように働く」ことを企業の価値づくりに役立てるべく、家族と友人を実験台に検証中。2016年4月に中山間地域の農業を次世代につなぐFood Hub Project Inc.を、神山町役場、神山つなぐ公社、モノサスと共同で立ち上げ、支配人を務める。レストラン the Blind DonkeyとCIMIrestorant を運営するRichSoil&Co.の役員も兼任。
年 | 地域のできごと | Region Worksメンバーのやったこと |
---|---|---|
2015 | 神山町「まち・ひと・しごと総合戦略」ワーキンググループ 神山町「まち・ひと・しごと総合戦略」策定、第1期始動 | 神山町「まち・ひと・しごと総合戦略」検討コアチームに参画 |
2016 | 神山つなぐ公社 設立 食と農に関するサンフランシスコベイエリア有志視察 フードハブ・プロジェクト 設立 | 神山つなぐ公社 設立支援業務 食と農に関するサンフランシスコベイエリア有志視察参加 フードハブ・プロジェクト 設立支援業務 後藤太一 神山つなぐ公社の理事に就任 森山円香 神山に移住し、神山つなぐ公社のスタッフに参画 |
2017 | フードハブ・プロジェクト かまや開業 | |
2018 | 後藤太一 神山つなぐ公社の理事を退任し、監事に就任 森山円香 神山つなぐ公社の理事に就任 | |
2019 | 神山町大埜地の集合住宅、第1期入居 徳島県立城西高等学校神山分校が神山校に改称、地域創生類を新設 城西高等学校神山校に寮「あゆハウス」設置 | 荒木三紗子 神山つなぐ公社のスタッフに参画し、「あゆハウス」のハウスマスターに就任 |
2020 | 神山町「まち・ひと・しごと総合戦略」改訂ワーキンググループ | 後藤太一 神山つなぐ公社の監事を退任 |
2021 | フードハブ・プロジェクト 株主構成変更 神山町「まち・ひと・しごと総合戦略」改訂、第2期始動 神山つなぐ公社、代表理事が杼谷学から馬場達郎に交代 | フードハブ経営改善アドバイザー |
2022 | NPO法人まちの食農教育 設立 | 森山円香 神山つなぐ公社の理事を退任 荒木三紗子 神山つなぐ公社を退任 森山円香 まちの食農教育の理事に就任 |
2023 | 神山まるごと高等専門学校 開校 | |
2024 |